私が服を好きになった理由

Twitterで突如始まったリレーブログ「 #私が服を好きになった理由 」が私にも回ってまいりました。
どんなだったかなぁと私自身も思い出しながら、ちょっとだけ古いお話しにお付き合いいただければと思います。

元々はまんが家志望でした

よく目にする一般家庭では、親御さんが「まんが何て読んでないで、勉強しなさい!」って怒られるシーンってあるじゃないですか。
でも私の家は母が率先してまんがを読んでいたので、それを言われた記憶がないのです。
小学生になり、お小遣いをもらえるようなってから母親に「そのお小遣いで、自分でなかよし買いなさい」と言われてから、私はなかよし担当になりました(笑)ちなみにその当時、母は別冊マーガレット、別冊フレンド他、たまにボニータとかでしたね。私の記憶が確かなら…

ということもあり、小学生時代はまんが家になりたかったのです。
沢山、あの手の絵を書いていました。
それが、ちょっと変化したのは「アンはアン」といういがらしゆみこ先生の作品を読んでからです。

この物語の主人公、アンのママはウェディングドレスのデザイナーなんですね。
当時、読者からまんがに登場させるドレスのデザイン募集っていうのもやってて、もちろん応募しました。
そこからファッションっていうより、デザイナーっていう仕事に憧れたのかもしれませんね。

その後、中学になってからはよりファッションデザイナーになることを意識するようになって、手っ取り早く家政科のある高校へ行こうかとも思いましたが、女子高に通うの嫌という理由で、デザインの基礎が学べそうな工業高校のインテリア科へ進むのです。

CUTiEと共に過ごした高校時代

当時、父親から「工業高校は個性的なのが揃っている」と言われていたのですが、それは本当でした。
制服を着ているんだけど、プラス小物を使っておしゃれしてる子も多く、とても刺激的でしたね。
それを後押ししていたのは、その年に創刊した「CUTiE」ですね。
当時のCUTiEのステキさは古本屋で探して読んで欲しいくらい(笑)
特に大好きだったのはHYSTERIC GLAMOURです。
毎月、アルバイト代でHYSTERIC GLAMOURの服を1着買う。というマイキャンペーンをしてました(笑)

その後は貯めたバイト代を元手に、地元の服飾専門学校に進学。本格的に服を作り始めます。
その時の私はロリータな人でした。ゆえに制作物もその系統ですわ。

こうやって私のことを書き連ねていくと、たまに話題になる「ファッション・サブカル問題」に繋がるんですね。
長くなるんでここでは書きませんが、衣料品を除きファッションはやっぱりサブカルなのよって思うんですよね。

話をまとめましょう。

こうやって思い返してみると、私の場合はファッション=自己表現だったのかもしれません。
派手な服を着るだけで、単純に存在感増すじゃないですか。
とにかく「私はここにいる!」っていう手段って感じかしら?

でも、私も大人になりました(笑)
ただ、それだけではダメってことが分かりました。
ということで今は、そうやって色々楽しませてくれたファッションに何か恩返しじゃないけど、何かできないかなって思ってます。
こうやって楽しい思い出をリレーブログでしたためるのも、その一つかと…

これ語り出すと本当に長くなるから、ここまでにしますね。

そして次は…
14年間アパレル業界にいて、これから新天地へと歩き出したAG MANさんにお願いしました。
アパレルから飲食、また逆っていう方も多いですよね。
服を好きになった理由はもちろんですが、ファッションの思い出なども語っていただきたいなと思っております。

この記事を書いた人

苫米地香織

苫米地香織

服が作れて、グラフィックデザインができて、写真が撮れるファッションビジネスライター
日本で一番アパレル販売員を取材している人